CFFジャパン事務局スタッフのブログ

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CFFとの出会いから変わった生き方。13年目のいま社会に出て想うこと〜25周年プロジェクト インタビュー〜

こんにちは!『CFF設立25周年プロジェクト』ブログ担当のあみです。

25周年プロジェクトのインタビュー企画(趣旨はこちら)、第2弾である今回は、約13年前、学生時代に海外プログラムへ初参加した五十嵐崇朗さんにお話を伺いました。
現在社会人12年目、ビジネスマンとして活躍している崇朗さん。特に進路に悩む学生の皆さん必見のインタビューです。 

f:id:cff_japan:20200510124657p:plain五十嵐崇朗(たかお)
学生時代にフィリピンスタディツアー15回、フィリピンワークキャンプ57回・62回リーダー、.マレーシアワークキャンプ9回に参加。2010年ベンチャー企業の株式会社オン・ザ・プラネットへ二期メンバーとして入社。社会人になってからも学生メンバーのフォローなどCFFに携わっている。趣味はキャンプ、洗車、芝生の手入れ。

不安しかなかった大学時代、生き方に自信を持たせてくれたCFF

子どもの頃からサッカー少年で、大学でも体育会の部活に入っていた崇朗さん。CFFに出会ったのは2008年、大学2年生の終わりごろでした。

 「ずっとサッカーしか知らないのはどうかなと思い、ネット検索して見つけたのがCFFでした。最初に参加したフィリピンスタディツアーでもっと世界を知りたくなって、その後ほかの団体のワークキャンプケニアに行ったり、東南アジアを旅したりしました。」

 当時教職をとってい崇朗さんですが、CFFへ参加したことでその夢も行動も変わりました。

 「CFFは自分のこれからの生き方に自信を持たせてくれました。当時ずっと教員を目指していましたが、なれるかどうかわからなくて将来に不安しかなかったんです。

そんなとき現地で見たことやCFFで出会ったあべべ(安部光彦さん、当時CFFマレーシア代表/現CFFジャパン代表理事)や、まさ(渡辺正幸さん、当時CFFジャパン事務局長)の生き方から刺激を受けました。先の不安を考えるよりも、今興味のあることややらなくてはいけないことを一生懸命にやろうと思うようになりました。」

 学生時代にCFF海外プログラムのリーダーをしていた崇朗さんは、社会人となってからも現役リーダーをサポートします。

 「入社直後は営業職で土日仕事だったので、平日夜のリーダーズミーティングに参加していました。今思えば、自分はひととの出会いが好きだからCFFに関わりつづけたかったのだと思います。」

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CFFのプログラムリーダー時代。
CFFフィリピンのスタッフと一緒に。

創業間もないベンチャー企業に入社し、成長を求めてきた12年間

崇朗さんが就職活動をした2009年は100年に一度の氷河期といわれた年でしたが、楽しく就活をしていたそうです。

 「面白そうな会社だなと思ったら面接に行きました。正直業務内容は興味がなくて、会社の考え方やどういう人が働いているかを見ていました。どこかの面接で『仕事内容がわからずによく来ましたね』といわれて喧嘩になったこともありましたね(笑)。」

 そして、創業したばかりのベンチャー企業に就職を決めます。

 「特別やりたい仕事はなかった。でもCFFをきっかけに、自分が目の前にあることを頑張って、成長して、それが周りに必要とされることに繋がればよいと思えていたんです。だから、若くして責任を持たせてもらえる会社を探していました。最終的に今の会社に決めたのは、社長や人事担当者など一緒に働きたいと思える人がいたからです。」

 

入社後、最初の4年は訪問販売の営業をして、その後ライフサポート事業部へ異動しました。現在は高齢者300人の利用者を抱えるリハビリ特化型施設の管理者を任され、施設の管理運営や人材育成を担っています。

 「設立2年目のときに入社したので、創業メンバー以外は後輩しかいなくて誰かを頼ることもほとんどできませんでした。おかげで自分で道を切り拓く力がつき、今に繋がっているのかなと思います。
正直仕事ってうまくいかないことの連続です。だからこそ何かを達成した時やチームの仲間と成し遂げたりしたときの喜びや成長が最高です。」

 うまくいかないことがあっても前向きに乗り越えてきたという崇朗さん。フィリピンやマレーシアはじめ、海外での経験が基盤にあります。

 「今の部署へ異動してきた当初は、介護リハビリの専門知識もないし、まさか自分がこの仕事をやるとは思っていませんでした。でも『この仕事をしていていいのかな、正しいのかな』といった迷いは全くありません。海外での経験からもらった自信があったからです。
今後もこの場所でとことん突き進み、自分が選んだ道が正しかったといえるように頑張ります。」

 

このように社会に出てからも一つの芯を貫いてきた崇朗さんですが、一方で変わってきた感覚もあるといいます。

 「社会人になった頃は自分のことだけ考え、夜中まで仕事に没頭していました。今は結婚して、家族に一層感謝して生活しているし、相手のことを尊重しながら生きていきたいと考えています。
また最近特に感じるのは、健康でいたいということ。普段仕事で高齢者の方を見ていると、健康だからこそできることの多さに気づきます。健康や時間、お金など、やりたいことができたときに行動できるような状態を作っておくことが大切だと考えています。」

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会社での活躍が評価され、表彰式で「社長特別賞」をいただいたこともありました。

Dear Future… 未来に望むのは「当たり前」の社会

人生を改めて振り返って、崇朗さんは”何をするかではなく、どう生きるか(WhatではなくHow)”ということばを大切にしてきたといいます。

 「これはCFFを通じて知ったことばです。自分としてはそこにプラスして『誰とやるか』が軸になっています。学生時代の自分は先生になることだけが目的になっていた。そうではなくどのように生きたいかを考えると、壁にぶち当たっても笑顔で前向きな自分、人と一緒に成長しあえる自分でいたいです。」

 

大切なことを教えてくれたCFFに対し、今後も存在し続けてほしいと願います。

 「コロナの影響でCFFだけではなく社会全体の方向転換が必要になると思います。そのような中でもCFFには何事にも屈することなく、想いを持ち続けてほしい。
いつか若者がもっとたくさん集まって、4カ国だけではなく世界へ広がっていたらいいですね。日本が3カ国を支援するのではなく、各国が自立して日本は日本のことをやっていたり、逆に日本が支えられたりしてもいいかもしれません。CFFが大切にしていることが続いてほしいし、更に成長してほしいです。」

 

「Dear Future...」の続きにつなぐ言葉としては、上手い表現が浮かばないと唸りながらも真っ直ぐな未来への想いを語ってくれてました。

 「まずは早くコロナが落ち着いて、当たり前にやっていたことをまた当たり前にやれる社会であったらいいです。以前のように皆とお酒を飲みながらいろいろな話をしたいです。

コロナだけでなく突然の病気、ミャンマーのような情勢の変化など、想像もしていなかったことが起こり得る世の中です。まずは、世界が当たり前であり続けてほしい。そして万が一どんな世界になっても力強く生きていきたいです。」

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CFFフィリピンでの楽しい夜は、今も大切な思い出です。

 インタビューを終えた崇朗さんは、次の25年後の自分を想像して「60歳になってる!」と驚きつつ笑いました。今はキャンプにはまっていて、60歳頃には山を買ってキャンプ場を開くのもいいかもしれないとのこと。

人との繋がりを大切にして、前向きに結果を積み重ねてきた崇朗さん。いつかその山のキャンプ場で、たくさんの人々と一緒に笑いあえる瞬間をイメージしているのではないでしょうか。そんな「当たり前」の幸せな一日がやってくることを、私も切に願います。

 

(インタビュアー・執筆:あみ、編集:しゅうへい)

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