CFFジャパン事務局スタッフのブログ

NPO法人CFFジャパン事務局スタッフのブログです。仕事のことに限らず色んなことを書いていく予定です。

「目の前の人を救いたい」偶然進んだ道が本物の夢になるまで 〜25周年プロジェクト インタビュー〜

こんにちは!『CFF設立25周年プロジェクト』ブログ担当のあみです。

25周年プロジェクトのインタビュー企画(趣旨はこちら)、第5弾である今回は、2012年にCFFフィリピンでのインターンを経験した南さくらさんにお話を伺いました。

f:id:cff_japan:20210911230446j:plain南さくら(旧姓:森下さくら)
第66回フィリピンワークキャンプ、同72回プログラムリーダー、第11回マレーシアワークキャンプに参加。2012年春にはCFFフィリピンでインターン。大学卒業後、初期研修医を経て救急集中治療医となる。8年目の今年から子ども病院で勤務中。趣味は愛犬や愛猫と楽しく過ごすこと。

一度目標を見失ったからこそ、CFFとバイト村に出会えた

小さい頃から動物が大好きだったさくらさん。中学生までの将来の夢は獣医でした。しかし高校受験後、ある“意地”から医学部に入る夢へ変わったといいます。

「ある日塾の先生に、もっと偏差値の高い学校に志望校を変えるよう勧められました。それを聞かずに自分の行きたい高校を選ぶと、『もっといい高校にいけばいいのに』といわれて腹が立ちました。私は負けず嫌いだったので、どんな高校だって何にでもなれる、医学部にだっていけると証明したくなったんです」

そんなひょんなきっかけから医学部を目指し始め、無事合格することができました。

「いざ医学部に入ると、次に目指すものを見失いました。最初から医者になりたかったわけではないので。そして刺激が欲しくなって、目が向いたのが海外です。先輩の勧めをきっかけにネット検索をしました。」

そして大学2年のとき、日程の都合がよかったため参加したのがCFFの海外プログラム、フィリピンワークキャンプでした。

ワークキャンプは通常CFFの現地法人が運営する「子どもの家」で行われますが、さくらさんが参加したのは、当時期間限定で行われていたバイトという村でのプログラムでした。

「バイト村の皆さんは私たちを歓迎し、毎日料理も作ってくれて、村のことが大好きになりました。日本の皆にもバイト村を知ってほしくて、次はプログラムリーダー(※1)として来たいと考えました。」

※1 CFF海外プログラムには各回に「リーダー」がいる。過去参加者がリーダーとなり、プログラムの運営、広報や参加者対応を担う。

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キャンプ中はバイト村内の施設に寝泊まりし、村のひとたちと多くの時間を過ごしました

東日本大震災後、心残りからCFFインターン

そしてさくらさんは第72回フィリピンワークキャンプのプログラムリーダーになります。この回がバイト村での最後のプログラムだったからです。しかし、出発した日に予想外の出来事が起こりました。

「出発した日は2011年3月11日。私たちが成田空港を飛び立って30分後、東日本大震災が起こりました。」

さくらさん達はフィリピン到着後に震災のことを知りました。皆がショックを受けましたが、すぐに帰国することもできずキャンプはスタートしました。

「はじめは参加者から『日本が大変なときに海外ボランティアなどやってられない』『本当に続けていいのか』という疑問の声があがりました。
でも、バイト村の人たちがとても優しくて、日本や私たちのことをとても心配してくれたので、皆も徐々に『キャンプ頑張ろう』という気持ちになっていきました。」

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バイト村の道を作り上げた72回キャンプ。10年経った今も仲良しだそうです

しかし、キャンプの最初は震災による混乱があったこと、そして同じ時期に開催される予定だったCFFの他のプログラムが中止となってしまったこともあり、さくらさんにはどこか心残りが生まれたといいます。

「一緒に頑張ってきた仲間がキャンプに行けなかったり、自分は震災の瞬間に日本にいなかったことを負い目に感じたり…。いろいろな心残りを払拭したくて東北のボランティアにも行きましたが、なかなかすっきりしませんでした。」

そしてさくらさんが選んだ方法が、2012年春のCFFフィリピンでのインターンでした。

「2ヶ月フィリピンで過ごして、一つひとつのことに意味があると思えるようになりました。さらにCFFのプログラムには、意味が生まれるような仕掛けがあると感じました。仕掛けによって皆が同じタイミングで同じことを感じている瞬間があるんです。そして違うことを考えたときも、皆が素直になってシェアして分かち合うから、次に繋げられるんです。」

こうした中でさくらさんも自分の気持ちに素直になり、心残りを消化していけたそうです。

素直になってみて実感したのは、「目の前の人が困っているときに助けになりたい」という自身の心の奥にある強い想い。
そうして改めて医師という職業に向き合うと「良い仕事だ」と思え、自分の進もうとしている道を肯定できるようになりました。

Dear Future Us. 医師となったからこそ望むのは「私たち誰もが良い最期を迎えられる社会」

その後、さくらさんは医師となり、初期研修を経て救急治療分野に進みました。人を助ける仕事ができてやりがいが大きいのではと思われがちですが、決してそうではなかったようです。

「医者にできることは、治療方法を選択してそれを施すまで。最終的に回復できるかは患者さんにかかっています。だから患者さんが元気になったとしても、それは医者がやり遂げたのではなく患者さん本人が頑張ったのだと思っています。」

このように医者が病気を治しているわけではないといいつつも、さくらさんは挑戦することを止めません。

「大人も子どもも診れるようになりたいと思い、今年から小児科の勉強のために子ども病院で勤務しています。
大切にしているのは、目の前のことに常に疑問を持って、考え続ける姿勢です。特に新型コロナウイルスの流行によって、この大切さを痛感しています。世の中で言われることに左右されず、ひとつひとつ自分の頭で考えていきたいです。」

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救急医として災害に備えた訓練も行いました

そんなさくらさんに、CFF25周年のテーマである「Dear Future...」に繋ぎたい言葉を訊きました。

「Dear Future Usです。未来は今を生きている私たちが創っていくものだと思うから。」

さくらさんが創っていきたい未来にあるのは「誰もが良い最期を迎えられる社会」だそうです。

「救急医療の現場でよく思い出すのが、CFFで言われていた『何になるかではなくどう生きるか』。患者さんが亡くなってしまうとき、たくさんのひとが駆けつけて看取られる方がいる一方、誰も病院に来てくれず、名前もわからずに亡くなる方もいます。途上国をみれば、人知れずに亡くなっていく人々は本当にたくさんいます。」

そしてさくらさんが例にとったのは、かつてCFFのワークショップで描いた「人生曲線(※2)」。

※2 グラフの横軸に時間、縦軸に自分の気持ちや状態をとって、自分の人生を振り返りながら曲線を描くワークショップ。うれしいときのグラフは山に、つらいときは谷になる。

「人生って本当に曲線続き。ずっと良い状態ではないと思います。悔いなく生きようとして、ずっと頑張らなきゃいけないのも苦しい。だから沈んでしまう時期もあっていいんじゃないかな。
でも最期その人生を閉じるときには、長い目で振り返れば『いい人生だったな』と皆が思える社会であってほしいです。」

このように語ってくださったさくらさん。
はじめは他人に対する意地から医学部に入りましたが、経験を経て自分の意志で夢へ進むようになりました。そして今も自分自身で考え続けているからこそ、そのことばには重みがありました。
これからも望む未来に向かって活躍される姿を応援していきたいです。

(インタビュアー・執筆:あみ)

あなたも「Dear Future...」の続きに繋ぐ未来を一緒に考えませんか?  

【CFF25周年記念チャリティイベント】
 日程:2021年11月20日(土)15:00~16:30 オンライン開催
 プログラム(一部)

  ・「子どもの家」を退所したあの子とパネルディスカッション
  ・コロナ禍の子どもたちの様子

  ・スペシャルゲスト×代表理事安部トークショー

 ▼チケット申し込みはこちらから 
      https://cff25th-event.peatix.com/

   イベント視聴チケットは1,000円〜!

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