CFFジャパン事務局スタッフのブログ

NPO法人CFFジャパン事務局スタッフのブログです。仕事のことに限らず色んなことを書いていく予定です。

じむきょくはなぜじむきょくというのか (#じむきょくお引越し大作戦!)

こんにちは、理事の川崎おさむです。
今年は、なっしーが育休に入る予定につき、私がみなさんの前に登場する機会が気持ち多めになるかもしれません。
 
さて、テーマとして「じむきょく」というお題をもらっているのですが、
そもそもCFFでは、なぜ事務所のことを「事務所」とは言わず「事務局」と言うのでしょう。
これも1つのCFF用語。
 
理由を2つくらい考えました。
 
1つは、初期はそもそも本当に「事務所」がなくて、職員もいなくて、ある方の自宅をCFFの住所にしていて「事務局」と称していました。
私が学生のときにCFFにかかわり始めたころは、集まる場所がなく、青山の国連大学の隣にあるウイメンズプラザが定例のミーティングの場所だったことが思い出されます。
 
そのうち2001年になって、私が大学4年生のときに、初めて「事務所」を構えることになりました。まだ何もない池袋事務局の「広ーい」床に初めて足を踏み入れたときは、何か新しい世界が広がったようで、CFFがまさか池袋という大都会に事務所を持てたのか、と驚いたのを覚えています。
(ちなみに初期のCFFは埼玉の所沢方面の人が多かったので、西武線からアクセスしやすい池袋になったのだと思う)
 
理由の2つ目として考えられるのは、
日常的にCFFに集うたくさんの若者にとって、歴代の事務局職員がなんだかんだいつもCFFを中心的に支えていて、
<CFFの事務所 = 事務局(職員)がいる場所・会える場所 = じむきょく>
というように人と場所が一体化したのかもしれません。
 
初めて事務所をかまえたときは、あんなにも広く思えた池袋事務局も、10年経って集う人が増え(それ以上に物が増え)、隣駅の大塚に引っ越すことになりました。
 
雑踏に塗れた池袋。その池袋の中でもガラが悪いと言われた地区から、
ほどよくにぎわい、ほどよく庶民的な大塚の街へ
 
大塚時代の一時期は、私も週の半分くらい事務局職員として働いていたのですが、
そのときは個人的にも忙しい時期で、いつも終電のころまで遅くなった後に延々と電車に乗って帰り、家に着くころは夜中の1時半ころだったなあ、と思い出されます。
 
池袋のときと比べると格段に広くなった大塚事務局。
それでも職員が少し増えたり、ミーティングの数も増えて、事務局に収まりきらなかったり、個別に話をしたいときや集中して仕事をしたいときは外に避難したり。
そして、同じビルにいかがわしい?商売の人も進出している気配があったり。。。
 
大塚に越してから9年。
だいたい10年周期での引越しとなっていますね。
 
今度の場所も、もっと広くてもよかったんじゃないかとか、交通の便は大丈夫かとか、当初考えていた地域に対しての活動は難しいかなとか、いろいろありますが、
 
池袋→大塚→千歳烏山と、
ちょっとずつ都心や雑踏を離れて、
ちょっとずつ広めに、
ゆるやかに変化。進化?
 
今度は次の引っ越しまで10年はいないかもしれませんが、
千歳烏山の時代はどうな変化や進化が起こるのでしょうかね。