「こどものため」とは?
こんにちは!このブログ初登場になりますあっきーです!現在インターンとしてCFFフィリピンに滞在しています。フィリピンに来てから早いものでもう1ヶ月が経ちました。(3月はじめに作成してらもった記事です。)
すでに17春シーズンも2プログラム終了し、アシスタントとしてもたくさん関わらせていただきました。そんな楽しい毎日の中で感じたちょっとしたモヤモヤについて書かせていただきます。
CFFフィリピンにいて一番考えること、それはやはり「こども」についてです。
フィリピンに来るのは初めてでしたが子どもの家に着いた初日、こどもたちは緊張していた私よりずっとフレンドリーに接し、私を受け入れてくれました。
その日から私を見かける度に「クヤー!(お兄ちゃん)」と笑顔で話しかけてくれます。
スタッフをはじめとするCFFをサポートしてくれている人たち、日本人キャンパー、ビジターの人たちなどたくさんの人がこどもたちに愛を注いでくれます。
こどもたちが成長していく中で、こどもの家での生活はとても大切な時間となります。
いつも元気なこどもたちはほぼ毎日誰かしら、スタッフに叱られてます(大体は些細なことですが...)。
しかし、私にとってはこの「叱る」ということがとても難しいです...。
例えば時間になっても遊びをやめられなかったり、ご飯を食べきっていないのにおしゃべりしていたり、人のことを叩いたり、マナーやルールを守らなかったり。
かわいさがゆえに「まぁいっか」と許してしまったり、注意はするが笑顔だったり、なかなか心を鬼にできません。
その行動は本当にこどもたちを想っての行動ではなかったなといつも後悔してしまいます。私にはこどもや教育、福祉の知識もなければ、タガログ語も大してできません。
叱る時だけでなく、こどもが怒ったり、悲しんでいてもこどもの心情を理解しきれないし、かけてあげられる言葉も出てきません。
こどもは一度許されると甘えがでてしまいます。この人なら大丈夫と行動を人で判断するようになってしまいます。
こどもたちの将来を本当に考えたとき、退所してからのことを考えたときの自分のふるまいこそが本当の意味での「こどものため」なんだなと私は思います。
優しさだけでは愛にはならない。そんなことを痛感させられました。
明日こそは!と思っても結局できない私ですが、残り1ヶ月トライし続けたいと思います! 長い文ですがここまで読んでいただきありがとうございました!