(この先ベトナムアリマス。どこ?)
気ままブログ、更新します。
事務局内海(けんじ)です。
去年の3月ごろ、夏にはまた海外に行けるだろう、なーんて思ってた時期がずっと昔に感じます。
「コロナが終わったら」という台詞、
終わるってどんな状態だろうなあと思いつつ、合言葉みたいに飛び交っていますよね。
ウィルスは自然の一部で、これまでもあったし、これからもある。
撲滅とか、打ち勝つとか、そもそも前提がどうで、私たちはどうあるべきだろう?
緊急が常態化して、緊急が緊急じゃなくなったら、本当に大切なことが見えなくなってしまうような気がします。
私たちも自然の一部で免疫システムっていうのをちゃんと持ってます。
こころも身体も元気でいること、
それが最大のワクチンであるんじゃないかなあと最近思うようになりました。
私たちの免疫と、ウィルスとの間に動的な平衡状態ができるときが何年後かには来る?
いや、来てもらわないと困ります。
現地にはいつ行けるのだろうか。
コロナによって奪われたのは、命だけでなく、子ども/青少年たちの大事なものも奪っています。
年に一度の文化祭や運動会。
一生に一度かもしれない、
入学式、卒業式。成人式。修学旅行。
埋もれてしまっている声がないだろうか?
外に出られず、マスクで表情も気持ちもわからない状態で、5年後、10年後、通るはずだったところを通らなかった子どもたちに、どんな影響を与えているだろう?
最近は学校から、海外研修の代替でオンラインツアーの依頼を受けることがあります。
本当の意味で”代替”になることは難しいんだろうけれども、CFFなら何か届けられるんじゃないだろうかと、機会を奪われた彼らを前に毎回突きつけられるような感覚です。
そうそう、オリンピックも本当にやるの?って言う絶妙な空気感で時が進んでますが、選手団が来日しましたね。
パラリンピックで基礎疾患のある方はどうなんだろう?ボランティアで高齢者の方は?
疑問は尽きませんが、オリンピックはやらない方がいいでしょ、と思う一方で、子どもたちの運動会はやったら?と思ってしまうのはなぜだろう?
オトナの思惑を感じるからかな。自分ごととの距離感かな。
わたしのことは大切で、よくわからない誰かは大切じゃない?
そんな基準で測っていないだろうか、と自問自答しています。
オリンピックはやるべきかどうか、
運動会はやるべきかどうか。
もちろん、ある意味では、やるべきで、
ある意味では、やるべきでない。
その”ある意味”をたくさたくさん対話して、どちらの立場からも共通の了解をとるにはどうしたらいいだろう?
悶々としながら京王線に揺られています。
続く。
CFFジャパン事務局 内海研治