CFFジャパン事務局スタッフのブログ

NPO法人CFFジャパン事務局スタッフのブログです。仕事のことに限らず色んなことを書いていく予定です。

この世田谷の片隅に  〜地域とともに烏山での新たな日常〜

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からぴょん(世田谷区烏山地域のキャラクター)
こんにちは。事務局の川崎修です。
 
25周年ということで、CFFに20年以上細く長くかかわっている古株の身としては本来なら過去を振り返って.....となるかもしれませんが、けんじの教育の話に続いて、今新しく始めている地域に関する取り組みについて紹介しようかと思います。
 
CFFは元々教育的な要素が強い団体だと思っていて、教育や学校との協働についてはこれまでもある程度やってはきました。ですが地域での活動はCFFジャパンとしては本当に初めて。これまでもやってみたいことではあったけど、今まさに25年目にしての新たな挑戦です。
 
個人としても、元々横浜在住在勤で、地域コミュニティや地域福祉、市民活動の支援をするNPOに所属はしていたものの、自分が主に担当していたのは、福祉施設の評価支援やNPOの組織運営についてで、地域での実践は実はあまり経験はなく。。
世田谷の地域についても、市民活動の歴史があり活動が盛んであることは何となく知っていましたが、今まで縁もなく、漠然とあったのは「ブルジョワ」のイメージ。
 
実際には世田谷といってもさまざまな地域があり、CFFジャパンの事務局が昨年引っ越してきた烏山地域の給田は、区内では北西の隅っこに位置します。

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まったくの新参者ですが、まずは地域のいろいろな会議や集まりに出たり、どんな活動があるかを探り、そんな中でキーパーソンと出会ったりし、少しずつ知り合いが増えてきた実感はあります。
 
そんな中でCFFジャパンとして今やっていることとしては、
 
●親子の居場所としての子育てひろば(なっしーが担当)
 
子どもなどに向けた多文化理解の講座(けんじや学生メンバーが担当)
 例えばこんなの
 
地域の学生と団体や活動をつなぐインターンシップ
も始めようとしています。
 
この秋からは、近所のコミュニティカフェの運営に参画し、まずは小学生向けの学習支援を始める予定です。さらには、例えば中高生の交流などを中心として、子どもから大人まで多様な人が混ぜこぜになる居場所、それを大学生がサポートする、そんな場づくりができないかなあと思っているところです。
 

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地域での活動をなぜやるか、何を目指すのか。
 
ウィズコロナ、ポストコロナの社会で変わったこと、変わっていきそうなことがいろいろあります。
オンラインを通じて遠距離や海外でも容易にコミュニケーションがとれるようになり、物理的には依然として国境をまたいだ移動がしづらい世界ではありますが、ある意味手軽にアクセスできるエリアは広がったように思います。一方で、リモートワークやオンライン授業が普及して前よりも家の近くで過ごす時間が増え、身近な地域での居場所やそこでの人とのリアルな交わりの価値は、これからより高まっていくのではないでしょうか。
 
CFFジャパンはこれまで、海外でのワークキャンプスタディツアーなど「非日常」の世界をたくさんつくってきました。これからは「日常」でも、誰もが取り残されず交わり合い、それぞれが自分らしく暮らせるコミュニティを地道につくっていきたい。そんなふうに思います。
 
どうしたら地域でCFFの力を生かせるか、これまでの蓄積や持てる資源を活用して貢献できるか。
CFFの持っている最大の資源は、若いたくさんの人材だと思いますが、メンバーが全国に拡がっていることの裏返しで、世田谷の近くに住んでいる人の割合は案外多くない。そうすると生かせるのは、学生に対する学生目線でのコーディネート経験か?
もちろんそういったCFFで生かせそうな面は生かしていきたいですが、それだけでなくいかに地域の力を生かせるか、必要な人や資源を探してこられるか、といった視点も大事にしてきたいですよね。それによって「CFFの価値」を発揮するだけではなく、「新たな価値」をともに見出せることを願っています。
 

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新たな形でミッションの体現に取り組むCFFの25周年、一緒にお祝いしませんか?

【CFF25周年記念チャリティイベント】
 日程:2021年11月20日(土)15:00~16:30 オンライン開催
 プログラム(一部)

  ・「子どもの家」を退所したあの子とパネルディスカッション
  ・コロナ禍の子どもたちの様子

  ・スペシャルゲスト玉城千春さん(Kiroro)×代表理事安部トークショー

 ▼チケット申し込みはこちらから 
      https://cff25th-event.peatix.com/

   イベント視聴チケットは1,000円〜!

☆CFF25周年プロジェクトでは様々なイベントを企画中です。最新情報は CFF25周年特設サイト をチェック!

けんじ最近何してるの?

f:id:cff_japan:20210929195306j:plain(先週のサウナ旅の一幕。ととのいを求めて。)

こんにちは、事務局内海です。
25周年プロジェクトのインタビュー記事、それぞれ感慨深く読ませてもらっています。寄稿をありがとうございます。

CFFへフルタイムで復帰してから「けんじ何してるの?」と質問を受けるので、最近のわたしを少しご紹介します。

夏は一般向けのツアーではなく、都内の順天高校海外研修オンラインプログラムを担当しました。

フルタイムが私ひとりになって、孤独感や重責に押し潰されるかな?と思ったけれど、いま関わっている活動の中での新しい出会いに励まされ、感謝な毎日です。
何より、いま担当させてもらっている「学校教育」との協働は、ディレクターとしての学びも深く、たのしくお仕事させていただいています。

 

3月と6月には高校生限定プログラムを開催しました。CFF高校生リーダーも初めて輩出しています。

ここでは、SDGsを学ぶためだけではなく、その解決の担い手となること、課題の側を変えることよりも、まず自分が変わることを目指しています。
高校生らしい真っ直ぐなシェアがいつも胸に刺さります。

 

新しい取り組みである「学校との協働」ですが、なぜそもそも学校なの?という部分をまずお話したいと思います。

ちょうどいま学習指導要領の改定により、「探求型の学び」が広く求められるようになりました。

自分の生き方や在り方と一体の(分けることができない)課題を発見し、解決していくことを「探求」っていうのですが、これってCFFがこれまで培ってきた「気付いて築く」のプロセスに重なると思いませんか?

さらに、学校でもSDGsの取り組みが大きな潮流となっている中、海外にフィールドを持つCFFの強みを「学校教育」において活かせるチャンスでもあります。

昨年の冬から、CFFの教育関係者が集まって「CFFの価値を学校教育で具現化する」ことを目標に学校との協働を模索し始めました。

小学校や中学校で初めて授業をしたり、先生向けのオンラインスタディツアーも開催しました。

この冬にはN高とのオンラインスタディツアー、来春には大阪大学とのオンラインフィールドスタディを予定しています。

また同時並行で、先生たちの学び会(CFFエデュケーションラボ)を重ねるなかで、生徒と分かち合いたいことは何か?、共に教育の本質を学び、CFFの価値を分かち合い、お互いにエンパワメントできる環境が少しずつ整ってきました。


これはCFFのミッションの体現に繋がっているなあと実感しています。
さらにその先に生徒たちへCFFの価値が広がることを目指し、現在試行錯誤しながら進んでいるところです。

CFF25周年にして初めてこれまでにない試練に直面しているかと思いますが、キャンプツアーだけではない新たな進化と深化を実践し、これまでもこれからも普遍のCFFの真価を社会と分かち合っていきたいと願っています。

引き続き、CFFの応援をどうぞよろしくお願いいたします。

 

CFFジャパン事務局 内海研治

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新たな形でミッションの体現に取り組むCFFの25周年、一緒にお祝いしませんか?
事務局 内海もMCを務めます。
  

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 日程:2021年11月20日(土)15:00~16:30 オンライン開催
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「目の前の人を救いたい」偶然進んだ道が本物の夢になるまで 〜25周年プロジェクト インタビュー〜

こんにちは!『CFF設立25周年プロジェクト』ブログ担当のあみです。

25周年プロジェクトのインタビュー企画(趣旨はこちら)、第5弾である今回は、2012年にCFFフィリピンでのインターンを経験した南さくらさんにお話を伺いました。

f:id:cff_japan:20210911230446j:plain南さくら(旧姓:森下さくら)
第66回フィリピンワークキャンプ、同72回プログラムリーダー、第11回マレーシアワークキャンプに参加。2012年春にはCFFフィリピンでインターン。大学卒業後、初期研修医を経て救急集中治療医となる。8年目の今年から子ども病院で勤務中。趣味は愛犬や愛猫と楽しく過ごすこと。

一度目標を見失ったからこそ、CFFとバイト村に出会えた

小さい頃から動物が大好きだったさくらさん。中学生までの将来の夢は獣医でした。しかし高校受験後、ある“意地”から医学部に入る夢へ変わったといいます。

「ある日塾の先生に、もっと偏差値の高い学校に志望校を変えるよう勧められました。それを聞かずに自分の行きたい高校を選ぶと、『もっといい高校にいけばいいのに』といわれて腹が立ちました。私は負けず嫌いだったので、どんな高校だって何にでもなれる、医学部にだっていけると証明したくなったんです」

そんなひょんなきっかけから医学部を目指し始め、無事合格することができました。

「いざ医学部に入ると、次に目指すものを見失いました。最初から医者になりたかったわけではないので。そして刺激が欲しくなって、目が向いたのが海外です。先輩の勧めをきっかけにネット検索をしました。」

そして大学2年のとき、日程の都合がよかったため参加したのがCFFの海外プログラム、フィリピンワークキャンプでした。

ワークキャンプは通常CFFの現地法人が運営する「子どもの家」で行われますが、さくらさんが参加したのは、当時期間限定で行われていたバイトという村でのプログラムでした。

「バイト村の皆さんは私たちを歓迎し、毎日料理も作ってくれて、村のことが大好きになりました。日本の皆にもバイト村を知ってほしくて、次はプログラムリーダー(※1)として来たいと考えました。」

※1 CFF海外プログラムには各回に「リーダー」がいる。過去参加者がリーダーとなり、プログラムの運営、広報や参加者対応を担う。

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キャンプ中はバイト村内の施設に寝泊まりし、村のひとたちと多くの時間を過ごしました

東日本大震災後、心残りからCFFインターン

そしてさくらさんは第72回フィリピンワークキャンプのプログラムリーダーになります。この回がバイト村での最後のプログラムだったからです。しかし、出発した日に予想外の出来事が起こりました。

「出発した日は2011年3月11日。私たちが成田空港を飛び立って30分後、東日本大震災が起こりました。」

さくらさん達はフィリピン到着後に震災のことを知りました。皆がショックを受けましたが、すぐに帰国することもできずキャンプはスタートしました。

「はじめは参加者から『日本が大変なときに海外ボランティアなどやってられない』『本当に続けていいのか』という疑問の声があがりました。
でも、バイト村の人たちがとても優しくて、日本や私たちのことをとても心配してくれたので、皆も徐々に『キャンプ頑張ろう』という気持ちになっていきました。」

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バイト村の道を作り上げた72回キャンプ。10年経った今も仲良しだそうです

しかし、キャンプの最初は震災による混乱があったこと、そして同じ時期に開催される予定だったCFFの他のプログラムが中止となってしまったこともあり、さくらさんにはどこか心残りが生まれたといいます。

「一緒に頑張ってきた仲間がキャンプに行けなかったり、自分は震災の瞬間に日本にいなかったことを負い目に感じたり…。いろいろな心残りを払拭したくて東北のボランティアにも行きましたが、なかなかすっきりしませんでした。」

そしてさくらさんが選んだ方法が、2012年春のCFFフィリピンでのインターンでした。

「2ヶ月フィリピンで過ごして、一つひとつのことに意味があると思えるようになりました。さらにCFFのプログラムには、意味が生まれるような仕掛けがあると感じました。仕掛けによって皆が同じタイミングで同じことを感じている瞬間があるんです。そして違うことを考えたときも、皆が素直になってシェアして分かち合うから、次に繋げられるんです。」

こうした中でさくらさんも自分の気持ちに素直になり、心残りを消化していけたそうです。

素直になってみて実感したのは、「目の前の人が困っているときに助けになりたい」という自身の心の奥にある強い想い。
そうして改めて医師という職業に向き合うと「良い仕事だ」と思え、自分の進もうとしている道を肯定できるようになりました。

Dear Future Us. 医師となったからこそ望むのは「私たち誰もが良い最期を迎えられる社会」

その後、さくらさんは医師となり、初期研修を経て救急治療分野に進みました。人を助ける仕事ができてやりがいが大きいのではと思われがちですが、決してそうではなかったようです。

「医者にできることは、治療方法を選択してそれを施すまで。最終的に回復できるかは患者さんにかかっています。だから患者さんが元気になったとしても、それは医者がやり遂げたのではなく患者さん本人が頑張ったのだと思っています。」

このように医者が病気を治しているわけではないといいつつも、さくらさんは挑戦することを止めません。

「大人も子どもも診れるようになりたいと思い、今年から小児科の勉強のために子ども病院で勤務しています。
大切にしているのは、目の前のことに常に疑問を持って、考え続ける姿勢です。特に新型コロナウイルスの流行によって、この大切さを痛感しています。世の中で言われることに左右されず、ひとつひとつ自分の頭で考えていきたいです。」

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救急医として災害に備えた訓練も行いました

そんなさくらさんに、CFF25周年のテーマである「Dear Future...」に繋ぎたい言葉を訊きました。

「Dear Future Usです。未来は今を生きている私たちが創っていくものだと思うから。」

さくらさんが創っていきたい未来にあるのは「誰もが良い最期を迎えられる社会」だそうです。

「救急医療の現場でよく思い出すのが、CFFで言われていた『何になるかではなくどう生きるか』。患者さんが亡くなってしまうとき、たくさんのひとが駆けつけて看取られる方がいる一方、誰も病院に来てくれず、名前もわからずに亡くなる方もいます。途上国をみれば、人知れずに亡くなっていく人々は本当にたくさんいます。」

そしてさくらさんが例にとったのは、かつてCFFのワークショップで描いた「人生曲線(※2)」。

※2 グラフの横軸に時間、縦軸に自分の気持ちや状態をとって、自分の人生を振り返りながら曲線を描くワークショップ。うれしいときのグラフは山に、つらいときは谷になる。

「人生って本当に曲線続き。ずっと良い状態ではないと思います。悔いなく生きようとして、ずっと頑張らなきゃいけないのも苦しい。だから沈んでしまう時期もあっていいんじゃないかな。
でも最期その人生を閉じるときには、長い目で振り返れば『いい人生だったな』と皆が思える社会であってほしいです。」

このように語ってくださったさくらさん。
はじめは他人に対する意地から医学部に入りましたが、経験を経て自分の意志で夢へ進むようになりました。そして今も自分自身で考え続けているからこそ、そのことばには重みがありました。
これからも望む未来に向かって活躍される姿を応援していきたいです。

(インタビュアー・執筆:あみ、編集:しゅうへい)

あなたも「Dear Future...」の続きに繋ぐ未来を一緒に考えませんか?  

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私は“愛”と離れることができない 愛について考え続ける私のモットーは“sharing love”〜25周年プロジェクトインタビュー〜

こんにちは!『CFF25周年プロジェクト』ブログ担当のしゅうへいです。引き続きCFFに縁のある方のインタビュー記事を掲載します。今回は第4弾!私が初参加したマレーシアワークキャンプ54回のリーダーだった工藤愛理沙(くどうありさ)さんにインタビューしました!

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みなさん!“一生をかけて考えたい”と思えるものに出会ったことはありますか?

 

2018年春のマレーシアワークキャンプに初参加し、翌年にはリーダーとインターンを経験したありささん。CFFでの活動を通して愛に向き合い続け、「これからもずっと考えつづけたい」ありささんは話します。

 

そんなありささんの大切にしたい未来は “Dear Future sharing love”。この言葉にたどり着くまでにはどんなできごとがあったのでしょうか。

 

他者のために動く自分がいる 愛に気づいた瞬間私は幸せだった

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CFFのキャンプに初参加した大学1年の春。石を運ぶワーク中に何ものにも代えがたい経験をします。

 

「石にふれたときに『すごい幸せ〜!』って急に叫んだんだよね笑 もうなんか嬉しくて楽しくて!あの瞬間は本当に尊い時間だったって今でも思う。今までのキャンパーとか未来のキャンパーとか、子どもたちとか...誰かのために動いてる自分に気づいた瞬間だった。自分の中にある他者への愛に気づいたから、幸せ!って感じたのかなって思った。」

 

自分のなかの愛の存在に気づいたありささん。愛が人生にとって大切なものだと思うようになります。

 

「それまでは、誰かのために何かをしようとか、何かについて深く考えたりとかしたことなくて。でも、愛が自分が生きるうえで大切なことの1つなのかもしれないって思った。」

 

愛が大切なものだと気づいたありささんは、次のシーズンでミャンマーのプログラムに参加しました。そこでは、子どもたちの未来がどんなふうになっていてほしいかを考える機会があったそうです。

 

ミャンマーのときは、毎日愛について考えてたかな〜。子どもたちの未来は愛にあふれていてほしいって思ったんだけど、そんなふうに私が子どもたちを想う気持ちって本当に愛なんだろうか?ってうのをすごく考えてたんだよね」

 

愛を見失ったリーダー回 本当の愛を求めてインターン

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大学2年の春、ありささんはマレーシアワークキャンプのリーダーになりました。

 

愛にあふれるキャンプにして、愛をつないでいきたい!って思ってキャンプに臨んだんだけど...全然そうはできなかったって思ってずっと泣いてた。」

 

ありささんがそう感じたのは、キャンパー1人ひとりに「このキャンプに何を求めているか」を聞いたある夜のことでした。

 

「『希望』とか『夢』とか『目の前の命を大切にしたい』とかみんないろんな想いがあって。『愛のあるキャンプをつくりたい!』って想いが強すぎて、みんなのことを愛せてなかったかもって思ったし、これまで信じてきた愛ってなんだったんだろう?って思いはじめて...挫折したっていうか、愛を見失った感じになった。」

 

愛を見失ったありささんですが、向き合うことをやめませんでした。半年後にはインターンにチャレンジして、自分にとっての本当の愛は何かを探し続けました。

 

「結果としては、『本当の愛が何か?』の答えの糸口を見つけることはできたんだけど、うまく言葉にできないのが本音。でも確実に言えることは、これから先も私は愛と離れることができないってことと、答えは簡単に出るものではなくて、一生かけて考えてゆっくりでいいから真実を受け入れていきたいってことです。」

愛だけじゃなく“愛を分かちあっていきたい”

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ありささんが大切にしたいのは“sharing love”=“愛を分かちあうこと”

 

「これまでの人生で、CFFで出会った子どもたちや仲間、家族や友だち...たくさんの人に愛をもらってきました。今度は、私がもらった愛をこれから出会う人たちと一緒に分かちあっていきたいと思っています。」

 

さらに、CFFの活動に使っていたノートを見ながらこう振り返ってくれました。

 

「この3年間はすごく密度の濃い時間だった。CFFにいる自分がいちばん好きかもしれない!」

 

現在は社会人1年目で事務職に就いているありささん。いまの想いを聞いてみました。

 

「今は新人なので、仕事のことで手も頭もいっぱいいっぱい。正直余裕がないときが多いです笑 愛を大切にできてないなって思うこともあります。それでも、私の中心にはsharing loveがあって、これからも考えつづけたいです。」

 

ものごとをありのまま深く広く感じる心を持ち、ときには心折れそうになりながらも向き合い続けたありささん。彼女はこれからも sharing love について考えつづけます。

 

みなさんが“考えつづけたいもの”はなんでしょうか?

 

(インタビュアー・執筆:しゅうへい)

 

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真っ暗だった世界に光をともしてくれたのはCFFとの出会い “愛”とは他者と心を通わすことで生まれるもの~25周年プロジェクトインタビュー~

みなさんこんにちは!「CFF25周年プロジェクト」ブログ担当のきぬです。前回に引き続きCFFに縁のある方のインタビュー記事を掲載します。今回は第3弾!CFF25周年プロジェクトにも携わってくれている関野茜(せきのあかね)さんにインタビューをしました!

 

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突然ですが、みなさんは「愛ってなんだろう?」「なぜ自分は生きているのだろうか?」そう考えたことはありますか?

 

これまでさまざまな困難に直面してきた茜さん。そんななか、あるできごとをきっかけに一歩前に踏み出すことができ、たくさんの人との出会いから自分の中にあった“愛ってなんだろう?”という問いの答えを見つけます。

 

「過去の辛い出来事がなければCFFに出会うことはなかった。CFFが私の人生や価値観を変えてくれた!」

 

そう話す茜さんにお話を伺いました。

 

人生のどん底にいた時に出会ったのは“CFF”

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小中高校といじめにあっていた茜さん。また、高校生の頃には両親が離婚し母と妹たちは家を出て行ってしまいました。そんななか茜さんが頑張っていたこと、それは勉強でした。大学進学とともに実家から逃げるようにふるさとを離れ、一人暮らしを始めた茜さん。しかし、一人の時間が増えたことで負のループに陥ります。

 

「なんで自分は生きている?なんで辛い思いをしながら生きているの?」

 

そんな日々のなか、大学のとある講義でCFFの活動を知ります。興味をもった茜さんは帰宅するとすぐにCFFのホームページにとび、プログラムに応募しました。

 

「ホームページに書いてあった“愛ってなんだろう”、そのキャッチフレーズに鳥肌が立った。これや!ってね。」

 

“自分探しをしたい。新しいことに挑戦したい。”そんな想いがあったと言います。

 

ハッピーキャンプ6回を始め、マレーシアワークキャンプ23回やマレーシアファミリーキャンプ1回、ハッピーキャンプ10回などたくさんのプログラムに参加した茜さん。大学生の時の楽しみはCFFの活動に参加することで、バイトで貯めたお金は参加費に充てていたそうです。

そんな茜さんにCFFとはどんな存在なのか聞きました。

 

「CFFは変わるきっかけをくれた場所。そこで出会った子どもたちや一緒に参加したキャンパーには本当に感謝してる。もうほんまにかけがえのない存在やと思うわ。」

 

言葉が通じない そんななか、9歳の女の子がくれたもの

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初めて参加したハッピーキャンプで訪れたこどもの家。そこでは1対1でバディを組み、7日間共に活動をしました。茜さんのバディは当時9歳の女の子。子どもの家に入ってきたばかりの女の子にとっては初めてのハッピーキャンプでした。

 

ある日のこと、茜さんはキャンプに参加している村の男の子と遊んでいる時に手が当たってしまい男の子のかさぶたをとってしまいます。男の子はびっくりして泣いてしまいました。その子はとてもシャイな子で、やっと周りに馴染んできた時のできごとでした。

 

「やっと心を開いてくれたのに。私のせいでまた心を閉ざしてしまったら。」

 

大事には至らなかったものの茜さんは謝罪の気持ちと責任感から泣いてしまいます。

そんな中、女の子はバディである茜さんが泣いていることに気づいてそのシャイな男の子を茜さんの元に連れて来ました。そして2人にハグをさせます。

 

「言葉も通じない、そんな中バディの女の子は私と男の子を仲直りさせてくれた。彼女のおかげで丸く収まったんよ。9歳の子に愛を感じた!」

 

また、女の子のこの行動が茜さんに気づきをもたらします。

 

「すごい小さなことかもしれないけどこういう風に私も誰かに目を向けて何かを与えたい。誰かのために行動する、その方が幸せになれる。」

 

このできごとをきっかけに、茜さんは自ら行動し、情報を集め被災地への支援などボランティア活動に参加するようになりました。

 

「“愛”って自分で考えていても分からない。けど、9歳の女の子から“愛とは他者と関わる、心を通わすことで生まれるもの”そう学んだ。」

 

その後も「私にできることは何か。」日々そう考えながら行動しているそうです。

 

Dear Future Family

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現在3歳の娘さんと旦那さんの3人で暮らしている茜さん。

そんな茜さんの大切にしたい未来、それは「Dear Future Family」。今と同じように未来でも仲の良い家族でいたい、そのような想いがあるそうです。

 

「いつか娘と一緒にフィリピンもしくはマレーシアのキャンプに参加したい。そこでたくさんの人と触れあってほしい。その時までCFFの活動が続いていてほしい、そういう願いもある。」

 

そう話してくれた茜さん。また、母親としての一面も見せてくれました。

 

「娘には自分の道を自分で選択してほしい。親や周りの意見とかは関係なく自分の意思で進む道を選んで、そこに向かって頑張ってほしい。」

 

最後に、これからのCFFとの関わりについて聞いてみました。

 

「CFF、フィリピンは第二のお家。バディだった女の子も含め子どもたちの成長を見守っていきたいです。」

 

そう茜さんは微笑んでいました。

 

このインタビューを通して茜さんが教えてくれたもの、それは“自ら一歩踏み出して行動してみる勇気”そして“愛とは他者と心を通わすことで生まれるもの”だと、私は思います。

 

みなさんにとっての“挑戦してみたいこと”そして“愛”とはどんなものでしょうか?

 

(インタビュアー・執筆:きぬ、編集:しゅうへい)

 

 

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CFFとの出会いから変わった生き方。13年目のいま社会に出て想うこと〜25周年プロジェクト インタビュー〜

こんにちは!『CFF設立25周年プロジェクト』ブログ担当のあみです。

25周年プロジェクトのインタビュー企画(趣旨はこちら)、第2弾である今回は、約13年前、学生時代に海外プログラムへ初参加した五十嵐崇朗さんにお話を伺いました。
現在社会人12年目、ビジネスマンとして活躍している崇朗さん。特に進路に悩む学生の皆さん必見のインタビューです。 

f:id:cff_japan:20200510124657p:plain五十嵐崇朗(たかお)
学生時代にフィリピンスタディツアー15回、フィリピンワークキャンプ57回・62回リーダー、.マレーシアワークキャンプ9回に参加。2010年ベンチャー企業の株式会社オン・ザ・プラネットへ二期メンバーとして入社。社会人になってからも学生メンバーのフォローなどCFFに携わっている。趣味はキャンプ、洗車、芝生の手入れ。

不安しかなかった大学時代、生き方に自信を持たせてくれたCFF

子どもの頃からサッカー少年で、大学でも体育会の部活に入っていた崇朗さん。CFFに出会ったのは2008年、大学2年生の終わりごろでした。

 「ずっとサッカーしか知らないのはどうかなと思い、ネット検索して見つけたのがCFFでした。最初に参加したフィリピンスタディツアーでもっと世界を知りたくなって、その後ほかの団体のワークキャンプケニアに行ったり、東南アジアを旅したりしました。」

 当時教職をとってい崇朗さんですが、CFFへ参加したことでその夢も行動も変わりました。

 「CFFは自分のこれからの生き方に自信を持たせてくれました。当時ずっと教員を目指していましたが、なれるかどうかわからなくて将来に不安しかなかったんです。

そんなとき現地で見たことやCFFで出会ったあべべ(安部光彦さん、当時CFFマレーシア代表/現CFFジャパン代表理事)や、まさ(渡辺正幸さん、当時CFFジャパン事務局長)の生き方から刺激を受けました。先の不安を考えるよりも、今興味のあることややらなくてはいけないことを一生懸命にやろうと思うようになりました。」

 学生時代にCFF海外プログラムのリーダーをしていた崇朗さんは、社会人となってからも現役リーダーをサポートします。

 「入社直後は営業職で土日仕事だったので、平日夜のリーダーズミーティングに参加していました。今思えば、自分はひととの出会いが好きだからCFFに関わりつづけたかったのだと思います。」

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CFFのプログラムリーダー時代。
CFFフィリピンのスタッフと一緒に。

創業間もないベンチャー企業に入社し、成長を求めてきた12年間

崇朗さんが就職活動をした2009年は100年に一度の氷河期といわれた年でしたが、楽しく就活をしていたそうです。

 「面白そうな会社だなと思ったら面接に行きました。正直業務内容は興味がなくて、会社の考え方やどういう人が働いているかを見ていました。どこかの面接で『仕事内容がわからずによく来ましたね』といわれて喧嘩になったこともありましたね(笑)。」

 そして、創業したばかりのベンチャー企業に就職を決めます。

 「特別やりたい仕事はなかった。でもCFFをきっかけに、自分が目の前にあることを頑張って、成長して、それが周りに必要とされることに繋がればよいと思えていたんです。だから、若くして責任を持たせてもらえる会社を探していました。最終的に今の会社に決めたのは、社長や人事担当者など一緒に働きたいと思える人がいたからです。」

 

入社後、最初の4年は訪問販売の営業をして、その後ライフサポート事業部へ異動しました。現在は高齢者300人の利用者を抱えるリハビリ特化型施設の管理者を任され、施設の管理運営や人材育成を担っています。

 「設立2年目のときに入社したので、創業メンバー以外は後輩しかいなくて誰かを頼ることもほとんどできませんでした。おかげで自分で道を切り拓く力がつき、今に繋がっているのかなと思います。
正直仕事ってうまくいかないことの連続です。だからこそ何かを達成した時やチームの仲間と成し遂げたりしたときの喜びや成長が最高です。」

 うまくいかないことがあっても前向きに乗り越えてきたという崇朗さん。フィリピンやマレーシアはじめ、海外での経験が基盤にあります。

 「今の部署へ異動してきた当初は、介護リハビリの専門知識もないし、まさか自分がこの仕事をやるとは思っていませんでした。でも『この仕事をしていていいのかな、正しいのかな』といった迷いは全くありません。海外での経験からもらった自信があったからです。
今後もこの場所でとことん突き進み、自分が選んだ道が正しかったといえるように頑張ります。」

 

このように社会に出てからも一つの芯を貫いてきた崇朗さんですが、一方で変わってきた感覚もあるといいます。

 「社会人になった頃は自分のことだけ考え、夜中まで仕事に没頭していました。今は結婚して、家族に一層感謝して生活しているし、相手のことを尊重しながら生きていきたいと考えています。
また最近特に感じるのは、健康でいたいということ。普段仕事で高齢者の方を見ていると、健康だからこそできることの多さに気づきます。健康や時間、お金など、やりたいことができたときに行動できるような状態を作っておくことが大切だと考えています。」

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会社での活躍が評価され、表彰式で「社長特別賞」をいただいたこともありました。

Dear Future… 未来に望むのは「当たり前」の社会

人生を改めて振り返って、崇朗さんは”何をするかではなく、どう生きるか(WhatではなくHow)”ということばを大切にしてきたといいます。

 「これはCFFを通じて知ったことばです。自分としてはそこにプラスして『誰とやるか』が軸になっています。学生時代の自分は先生になることだけが目的になっていた。そうではなくどのように生きたいかを考えると、壁にぶち当たっても笑顔で前向きな自分、人と一緒に成長しあえる自分でいたいです。」

 

大切なことを教えてくれたCFFに対し、今後も存在し続けてほしいと願います。

 「コロナの影響でCFFだけではなく社会全体の方向転換が必要になると思います。そのような中でもCFFには何事にも屈することなく、想いを持ち続けてほしい。
いつか若者がもっとたくさん集まって、4カ国だけではなく世界へ広がっていたらいいですね。日本が3カ国を支援するのではなく、各国が自立して日本は日本のことをやっていたり、逆に日本が支えられたりしてもいいかもしれません。CFFが大切にしていることが続いてほしいし、更に成長してほしいです。」

 

「Dear Future...」の続きにつなぐ言葉としては、上手い表現が浮かばないと唸りながらも真っ直ぐな未来への想いを語ってくれてました。

 「まずは早くコロナが落ち着いて、当たり前にやっていたことをまた当たり前にやれる社会であったらいいです。以前のように皆とお酒を飲みながらいろいろな話をしたいです。

コロナだけでなく突然の病気、ミャンマーのような情勢の変化など、想像もしていなかったことが起こり得る世の中です。まずは、世界が当たり前であり続けてほしい。そして万が一どんな世界になっても力強く生きていきたいです。」

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CFFフィリピンでの楽しい夜は、今も大切な思い出です。

 インタビューを終えた崇朗さんは、次の25年後の自分を想像して「60歳になってる!」と驚きつつ笑いました。今はキャンプにはまっていて、60歳頃には山を買ってキャンプ場を開くのもいいかもしれないとのこと。

人との繋がりを大切にして、前向きに結果を積み重ねてきた崇朗さん。いつかその山のキャンプ場で、たくさんの人々と一緒に笑いあえる瞬間をイメージしているのではないでしょうか。そんな「当たり前」の幸せな一日がやってくることを、私も切に願います。

 

(インタビュアー・執筆:あみ、編集:しゅうへい)

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中学で憧れ、CFFで確信に変わった途上国で働く夢 バリ島で見つけた日本語教師の道〜25周年プロジェクトインタビュー〜

みなさんこんにちは!『CFF設立25周年プロジェクト』ブログ担当のしゅうへいです。先日のブログで、CFFに縁のある方々のインタビュー記事を掲載することをお伝えしましたが、今回は記念すべき第1弾です。

 

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みなさん、中学生のときの夢は何でしたか?そのときの夢を叶えている方、途中で夢が変わった方、それぞれだと思います。

 

記念すべき初回のインタビューを受けてくれたのは、2017年春のマレーシアワークキャンプ参加者、川井優希(かわいゆうき)さん。彼女はいま、中学生のころの夢を叶えようとしています。

 

優希さんの夢、それは海外で働くこと。大学時代に日本語教師の資格を取得し、今年12月にインドネシアのジャワ島に渡る予定です。

 

そんな優希さんの大切にしたい未来は “Dear Future Children”。この言葉にはどんな背景があるのか、お話を伺いました。

心をつかんで離さないバリ島での出会い 子どもたちが日本語を学ぶ姿勢が決め手に

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「Dear Future ChildrenのChildrenは、特定の子どもたちではなく、広く子どもたちのために活動していきたい、ということなんです。」

 

優希さんが、子どもたちのために活動していきたいという想いを抱くきっかけは、2018年夏にボランティアで訪れたバリ島での子どもたちとの出会いだったそうです。

 

「100人くらいの子どもたちがいる孤児院で1週間過ごしました。学校の選択授業で日本語があり、みんな日本語に興味津々!こんな遠いインドネシアで、日本語を勉強して話せるようになりたいっていう子どもたちがこんなにいるんだ!ってうれしくなりました。」

 

日本語教育なら子どもたちの未来の役に立てるかもしれない、と感じた優希さん。その想いは、別の国に訪れたときに明確になりました。

 

「バリ島から帰った後、ルワンダに行ったんです。そこでの生活も楽しかったんですけど、バリ島で出会った子どもたちのことがどうしても忘れられなくて...。それで、自分はバリ島で日本語教育をしたいんだ!って強く感じました。」

 

進む道を決めた優希さん。2019年夏、今度はバリ島の高校と大学で日本語教師インターンにチャレンジします。

 

「私の授業がつまらなくて寝ちゃったりしたらどうしよう...ていう不安がありました。でも、みんな真剣に授業受けてくれて、日本語を勉強する子たちを応援したいって思いました。それで帰国してから、日本語教師の資格を取りました。」

 

そして、今年12月日本語パートナーズという制度を利用してインドネシアに渡る予定です。

 

「本当は去年行けるはずだったんですけどコロナで延期になっていました...。でも先日、行けることが決まってよかったです!」

夢に一歩近づいた高3の春! CFFで心が決まり海外一筋に

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前から2列目、左から4番目が優希さん

優希さんにとって途上国で働くことは、中学生時代からの夢であり憧れ。その原点はあるテレビ番組だったといいます。

 

「中学校の地理の先生が変わっていて、教科書を使わずにオリジナルの教材で授業してくれたり、海外のバラエティ番組を見せてくれたりしていたので、自然と海外に興味を持ちました。途上国で活動したい想いが芽生えたのは、世界の村で発見!こんなところに日本人』という番組を観てからです。青年海外協力隊の方が活動している姿に憧れました。」

 

時は流れて高校3年生。途上国や協力隊に興味がある人が集まり、海外プログラムも充実している東洋大学国際学部に行くことにしました。無事進学も決まった春休みに、初めてCFFのマレーシアワークキャンプに参加します。

 

「春休みを無駄に過ごすのもいやだったので、この機会に初めて海外に行こうと決めました。でも、高校生は私だけであとはみんな大学生だったので、最初は来るとこ間違えたっ!って思いましたね笑

 

初めての海外、初めてのマレーシアは、優希さんの大学生活の軸を決定づける大きなターニングポイントになりました。

 

イスラム教のお家にホームステイしたんですけど、豚を食べられなかったり、食べるときに左手を使っちゃいけなかったりすることを知りました。イスラム教の方たちと生活して初めて、宗教によってこんなに違いがあるんだっていうのが衝撃で...。それに、ちゃんと自分の目で途上国を見て、一緒に生活してみて、将来は絶対途上国で働いて暮らそうと思いました!」

 

将来の進路を途上国に決めた優希さんですが、ある想いが浮かんできました。

 

「このとき私の心で決まっていたのは「途上国」ということだけ。自分に何ができるのか分からないし、何がしたいのかも全然イメージできていませんでした。そこで、大学生活はいろんな途上国をまわって、自分がやりたいこと、できることは何か探すことに決めたんです。」

 

そこから、インドネシアラオスカンボジア、インド、ルワンダなど計13ヶ国を周ったそうです。

 

そんなバイタリティあふれる優希さんですが、マレーシアワークキャンプでは思わぬ壁にぶつかったそうです。

 

「CFFに参加するまで人間関係に悩んだことはなかったんですけど、そこで初めて悩みました。私だけ高校生だったので最初は全然馴染めなくて...。自分の方から壁をつくってしまったこともあってなかなか打ち解けられませんでした。あるとき、本音を話そうみたいな夜があって、“年齢が違うからどう関わっていけばいいかわからない”って話したら、みんな“気にしなくていいのに”って言ってくれて...そこからは普段通りの自分でいこう!って吹っ切れました笑」

 

この経験が、その後海外を飛びまわるなかで役に立ったそうです。

 

「先取りで大学生を体験した感じで、年上の人との接し方がわかりました。別の団体でも、年齢がバラバラの人たちと初めましてで海外に行ったりしたときに、難しく考えず、普段通りの自分でいることができました。」

ワクワクを信じて、まずは目の前のことを全力で

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憧れを徐々に現実に引き寄せてきた優希さん。そんな優希さんには、心に決めている自分ルールがあるといいます。

 

「やりたいことがいくつもあるときは、やってる自分を想像して一番“ワクワクするもの”を選ぶようにしています!“ワクワクする”って自分がやりたくてしょうがないことだと思っているので。インドで出会った日本人に、“ワクワクする方を選べ”っていう言葉をもらったことがきっかけなんですけど笑。わりと優柔不断な性格だったなので、心に刺さった言葉でした。」

 

ワクワクを信じて突き進む優希さん。最後に将来像についてお聞きしました。

 

インドネシアで働くこと、そして子どもたちに関わりたいというのは変わらないと思っています。日本語教師は、あくまで関わり方の1つ。これからチャレンジして、続けたいと思うか、それとも気が変わるか、まだ自分でも分かんないです笑。いまはインドネシア日本語教師をする未来しか見えてません。」

 

優希さんは「途上国で活動する」という中学時代からの憧れに、ゆっくりと、でも確実に一歩一歩近づいてきたように思います。そして、日本語教師という“ワクワク”を見つけました。

 

このインタビューで優希さんが教えてくれたのは、“ワクワク”を求めて探し続けることだと、私は思います。

 

みなさんにとっての“ワクワク”はどんなものでしょうか?

 

(インタビュアー・執筆:しゅうへい)