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寄付プロジェクト進捗:
6月4日現在4,764,000円達成!!!
目標金額まであと1,836,000円!!!
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こんにちは!【それいけ!】CFF「子どもの家」を守り隊!〜2020寄付プロジェクト〜メンバーのあみーご(18春マレーシアインターン)です!
今回は15年以上CFFに関わってくださっているつっちー(79歳)のブログです!
つっちーの初海外渡航のエピソードから、現在もCFFに関わる動機について語って頂きました。それではどうぞ!
・2007年第0回スタディツアー参加を機に、フィリピン/マレーシア/ミャンマーそれぞれのプログラムへ16回参加
・参加者みんなから「つっちー」の愛称で親しまれています。
・土屋さん主催、月に一度事務局職員をお招きくださる「つっちーの会(つっちーとのランチ会)」を開催。(とっても感謝 by田代)
私が初めて海外に行ったのは1972年でした。もう48年も前になります。
当時は成田空港は無く、羽田から発ちました。会社の同僚が見送りに来てくれて選別をくれました。お土産に何を買ってくるか迷ったものでした。当時はまだ固定相場制で1$は360円、外貨持ち出しも確か500$に制限されていました。
目的地はニューヨークだったのですが飛行機の燃費が悪く、ニューヨークへの直行便はなくロサンゼルスで燃料を入れて飛び立ちました。ロッキー山脈を越えると大きな畑が限りもなく広がっていて、約5000km飛んでニューヨークに到着。高度一万メートルから見る畑はとても綺麗で見ていて全く飽きなかったことを覚えています。日本と比べると面積で25倍で人口で3倍のアメリカですがそれ以上にとても大きな国に見えました。
そんな中、私が初めてマレーシアに行ったのは1987年でした。
もう33年前になります。
1996年に私は会社が変わったのですが、その会社はペナンに工場を持っていて毎年4~5回は出張することになりました。
丁度学生時代の友人がペナンでデーサービスセンターを作り、そこを訪問するようになりました。彼が約10年後の2002年にペナンからサラワクに移ると、私もサラワクでのデイケアセンター作りに協力するようになりました。
そんな折、マレーシアの友人からCFFの活動の話を聞いたことをきっかけに、どんな団体かフィリピンまで見学に行きました。
初めてフィリピンのCFFの「子どもの家」に行ったのは2005年でした。
誰も使わないような田舎の小さな山を買って、日本の学生たちは山の中に道を作り、「子どもの家」を作っていました。
子どもたちの笑顔がとても印象的でした。
2007年の9月になるとマレーシアのコタキナバルで0回のスタディツアーをやると聞き、参加をしました。
マレーシアにはまだCFFの「子どもの家」はありませんでしたが、コタキナバルという街は実にユニークで、約3000人のフィリピンからの不法移民の水上部落や国立のイスラム教のモスクを訪問したり、多文化に触れることができました。
こんなに海外出張に恵まれた私でしたが、多くの人たちとの交流は私を大の海外好きにしてしまった様でした。
私は退職してからすでに16年になりますが、以前にもましてCFFなどに出かけたくなります。
一つには日本の成長期の戦後75年の激変する社会を駆け巡って海外から日本が見えてくるような気がして勉強になったし、さらに今までにお世話になった人たちとの交流は今後も出来るだけ継続したいと思うのです。
マレーシアやフィリピンの人たちが東京に来れば声をかけてくれて東京の街を案内するのは楽しいものです。
今コロナ騒ぎが世界中を騒がせていますが、これも世界がますます狭くなり
人の出入りが多くなった結果ではないでしょうか。
世界の警察を自任していたアメリカが世界の警察をもうやめたいと言いだすなど大きな変化が起きており、
海外とどのようにお付き合いするかはますます大切な課題となっています。
私にとってのCFFは何か?
難しい質問のような気もして良く分かりませんが、海外で出来た友人は大切にしたいと思っています。
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