こんにちは、なっしーです。
先々週末は、お休みをもらって3泊4日でサイパン旅行へ行ってきました!
【日本からたったの3時間半で到着です!】
JAL・ANAの直行便がなくなったことで日本人観光客はぐんと減り、
今は中国・韓国からの観光客が主になっているそう。
【中心部・ガラパンの街並み】
サイパンではタクシー運転手はバングラデシュ人、
ウェイター・ウェイトレス・レジ打ち・ボート運転などはフィリピンからの出稼ぎ者。
ウェイターを呼ぶときはローカルもみんな「アテ!(タガログ語で”お姉さん”)」
と呼ぶほど、フィリピン人がサイパンの生活の中に溶け込んでいる様子。
【フィリピン料理。値段はフィリピンの約9倍の9ドル!】
【フィリピン産の7Dマンゴーなのに、SAIPAN U.S.Aと記載…。笑】
さて、今回の旅では、第2次世界大戦の戦跡巡りをしてきました。
終戦間際の1944年当時。
アメリカは、
日本統治下のサイパンを陥落できれば、
ここから日本の主要都市(東京・大阪など)を爆撃できるようになり、
日本の戦争継続能力を弱めることができると考えていました。
同様に、日本も本土防衛のためにサイパンを死守することに必死でした。
そういった戦略的価値が高かったサイパンなので、
この土地で繰り広げられた地上戦の残虐さは相当なもので、
日米兵やアメリカ兵のみならず多くの民間人も犠牲になりました。
そんなサイパンの歴史を後世に伝えるために、また慰霊のために、
島内の至る所に日本語で先の戦争資料や慰霊碑が残されていました。
平和記念公園内の資料館に展示されている手記や説明。
資料館では日本語で、サイパン島の戦いのドキュメンタリー映像も見ることができます。
ここは、東京や大阪などに向けてB29が飛び立った場所。
今はサイパン国際空港の滑走路として使われています。
サイパン島の隣のテニアン島(サイパンと同じ北マリアナ諸島の1つ)から、
広島・長崎に向けて原爆を搭載した爆撃機が飛び立っていたことを、
今回の旅で初めて知りました。
向こうに見えるのがマッピ山。
敗色濃厚となった多数の日本兵や民間人が、投身して自決したことから、
現地では”Suicide Cliff(自殺の崖)と呼ばれています。
なんて悲しい名前…。
スーサイドクリフには、たくさんの慰霊碑や慰霊像も建てられています。
同じように、”バンザイクリフ”と呼ばれる集団自決地。
ここでは、多くの自決者が「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」と叫んで投身をはかったことから、
このような名称になっています。
バンザイクリフにも、たくさんの慰霊碑が建てられています。
天皇皇后両陛下の海外への慰霊の旅の最初の訪問地は、ここサイパンでした。
その歳において戦争という責任を背負わされることになってしまった重さは、
一体どれほどのものなのでしょうか。
サイパンにこんなにも慰霊碑が多く建てられていたことに驚くと同時に、
それだけこの地が激戦の地だったということ、
多くの悲しみがあった場所だということを知りました。
ここで犠牲になった方々が、
帰りたかった場所に帰れていて、
会いたかった人たちに会えていますように。
私たちが過去から学んでいることを、
いまと、未来に活かしていくことができますように。
日本からたった3時間半で行けるサイパン。
3泊4日でも十分回ることができるので、
ぜひみなさんも行ってみてはいかがでしょうか。
穏やかで綺麗な海や自然にも癒されますよ^^